出身地 岡山県赤磐(あかいわ)市 (旧 赤磐郡吉井町) 誕生日 昭和35年6月23日 星座・血液型 かに座・B型 身長 178cm 特技 大型2種免許・けん引免許・大型自動二輪 国内A級ライセンス |
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【あゆみ】 | |
幼少の頃から特に恥ずかしがり屋で、人前で歌を唄うことなどとても出来なかった。 20歳の時、家計を支えるために長距離トラックのドライバーになる。 運転席でラジオを聞く毎日…その後、特に演歌が好きになり歌を口ずさむようになる。 23歳、遠藤実先生主催の「日本演歌道場認定会」に初めて出場した時、最高位8段のところ7段を授与していただき、認定会終了後、遠藤先生の楽屋に呼ばれ、「東京に出て歌手にならない か」とお誘いを受ける。 しかし、当時は母(糖尿病の合併症から網膜はく離になり失明)と曾祖母、そして高校生の妹が おり、一家の大黒柱としてはどうしても決心がつかず、やむにやまれず断念。 その後もトラックドライバーとしての生活が続く中、母は入院し妹が嫁いで行く。家で一人の生活が続くと、どうしても歌手への夢が捨てきれなくなり、次第に“一度きりの人生”と言う思いが強くなる。 そして、歌手への夢を叶えるべく、遠藤先生が岡山近郊にお越しになるたびに楽屋へ押しかけ、土下座をして弟子入りを志願し続けた。 最初は「今さら来ても遅い」と断られるが、約一年間門を叩き続け、平成3年(30歳)に、やっと条件付きで弟子入りを許可される。 弟子入り後の一年間は、師の岩清水工場(栃木県那須山中)にて一人で修行。その後遠藤先生の付き人兼運転手として修行を重ねた。 男性歌手としては、一節太郎さん千昌夫さんに続いて3人目で、最後の内弟子となる。 修業時代は、歌はもちろん、人としての心を厳しくご指導いただいた。 約3年間の内弟子を経て、平成6年5月21日(33歳)、ソニーレコードより「真情」でデビュー。 奇しくもデビュー日は、亡くなられた遠藤実先生の奥様・節子夫人の一周忌の命日だった。 デビュー後は、数々の新人賞を受賞。 平成14年1月、キングレコードに移籍。 平成16年4月、デビューから10年間所属した三船音楽事務所から独立。 同年9月、病床から見守っていてくれた母が他界。 平成19年1月1日に発売した「ふたりの始発駅」が、“団塊の世代に贈る応援歌”として話題を呼ぶ。 同年9月26日、「ふたりの始発駅」の流れを汲み“藤原浩が贈るしあわせ演歌第2弾”「あなたが終着駅」発売。 平成20年5月21日、デビュー15周年記念曲「倖せありがとう」発売。 発売前日の5月20日、「倖せありがとう」ヒット祈願を、節子夫人の眠る西東京市の総持寺にて開催。作詩の水木れいじ先生、作曲の遠藤実先生と共に新曲披露をした。 同年10月6日、「藤原浩デビュー15周年記念リサイタル〜ありがとうの気持ちを込めて〜」開催。 恩師である遠藤実先生が駆け付けて下さり、「泣きたいことがあったら、いつでも俺のところに来い!」と温かいお言葉をいただいた。 平成21年6月10日、遠藤実作品集アルバム「真情〜遠藤実トリビュート」発売。 遠藤実先生作詩作曲の未発表曲「もう忘れました」を収録し話題を呼ぶ。 平成21年6月〜7月、大阪・名古屋・福岡・東京の4都市でライブを開催 平成22年5月、札幌・大阪・東京にて ≪リラの花咲く港町/雨音のバラード≫カラオケ大会&藤原浩ライブ 平成25年5月12日、「藤原浩デビュー25周年記念ディナーショー」開催 平成25年9月30日、「藤原浩デビュー20周年記念リサイタル〜20年を紡ぐ歌ものがたり〜」開催」 平成30年11月26日、「藤原浩デビュー25周年記念リサイタル〜感謝の心を込めて〜」開催」 |
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【受賞暦】 | |
平成6年6月 春日八郎奨励賞 受賞 平成6年7月 第13回メガロポリス歌謡際 新人賞 受賞 平成6年11月 第27回新宿音楽祭 銀賞 受賞 平成7年3月 松尾芸能賞 歌謡芸能 新人賞 受賞 平成7年2月 NAK日本アマチュア歌謡連盟 日本流行歌 新人賞 受賞 平成8年6月 NHK新人歌謡コンテスト 優秀賞 受賞 平成9年10月 日本歌手協会 奨励賞 受賞 |
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【コンサート・イベント】 | |
平成11年5月21日 平成13年7月6日 平成14年9月3日 平成15年11月14日 平成16年10月29日 平成18年6月19日 平成19年4月10日 平成19年6月23日 |
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【レギュラー】 | |
FM西東京 「藤原浩のやすらぎの小径」(毎月第3月曜 12:15〜12:44) |